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ダウニー (カリフォルニア州) : ミニ英和和英辞書
ダウニー (カリフォルニア州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ダウニー (カリフォルニア州) : ウィキペディア日本語版
ダウニー (カリフォルニア州)[す, しゅう]

ダウニー()は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡南東部に位置する都市である。ロサンゼルス市中心街から南東に13マイル (21 km) にある。2000年国勢調査では人口107,323人だったが2010年では111,772人と4.1%増加した。
== 歴史 ==
アルタ・カリフォルニアスペイン人が到着する以前、ダウニーとなった地域にはトングバ族インディアンが住んでおり、スペイン人は彼等のことをガブリエリーノと呼ぶようになった。
スペイン植民地としての歴史は1771年に、カリフォルニア州の歴史史跡にもなっているサンガブリエル・アークエンジェル伝道所が設立されたのが始まりだった。この伝道所が設立された土地が今日のロサンゼルス地域の発祥地となっている。
1784年、スペイン総督ペドロ・ファヘスが元軍人のマヌエル・ニエト(1734年-1804年)に土地を特許した。この土地はスペインがカリフォルニアを支配していた時代では最大の土地特許によるものだった。広さ30万エーカー (1,200 km²) に及ぶこの土地は、東はサンタアナ川から西は昔のサンガブリエル川(現在はリオ・ホンドとロサンゼルス川)にまで、北はミッション・ハイウェイ(ほぼウィッティア・ブールバードに相当)から南は太平洋にまで拡がっていた。後にサンガブリエル伝道所の所有地との係争で幾らかは減らされた。スペインによる土地特許の中でカリフォルニアで認められた25か所は、後に権利が継承されなかったメキシコによる土地特許とは異なっていたが、スペイン王室による権利付与と共に放牧を行う許可に類似していた〔Beck, Warren A., Haase, Ynez D. (1974). ''Historical Atlas of California''. Norman: University of Oklahoma Press.〕。
ニエトのランチョはその死とともに4人の子供達に渡され、1833年にニエトの承継者がメキシコの知事ホセ・フィゲロアに資産分割を請願するまでそのままだった。初めのランチョの北西部は現在のダウニーとノーウォークがある地域であり、ランチョ・サンダガートルードとして、マヌエル・ニエトの息子アントーニオ・ニエトの未亡人であるホセファ・コタに継承を認められた。ランチョ・サンダガートルードは広さ21,000エーカー (84 km²) あってこの時でも広大なものであり、ロサンゼルスのプエブロ(町)より東では社会生活の中心だったニエトの家産があった〔Quinn, Charles Russell (1973). ''The History of Downey, California'' Published by Elena Quinn; copyright by City of Downey, California.〕。
米墨戦争が終わった1848年、カリフォルニオのランチョの多くは、アメリカ合衆国のマニフェスト・デスティニー原理に従って西部に移住し、地位のあるスペイン系カリフォルニオの家庭と婚姻を結んだ裕福なイングランド系アメリカ人のものになっていった。
ダウニーの町は南北戦争時のカリフォルニア知事ジョン・G・ダウニーによって設立され命名された。知事のダウニーはリオ・ホンドとサンガブリエル川の間で購入した土地を分割した。1873年にサザン・パシフィック鉄道がこの地を通り、1940年頃まで地域の農夫は穀物、トウモロコシ、トウゴマおよび果実を育てていた。ダウニーの町は1935年には「オレンジ叢林の町」と表現されていた〔Romance & History of California Ranchos. Myrtle Garrison. 1935. page 11. Harr Wagner Publishing Compnay, San Francisco, CA.〕。
ダウニーは1956年に自治体化し、1964年には認可形態を採った。第二次世界大戦後は農地に代わって郊外住宅と工場が建っていった。最大雇用主は初めバルティ・エアクラフト、後にはノースアメリカン・アビエーション(後のノースアメリカン・ロックウェル、その後ロックウェル・インターナショナルボーイング社に買収された)となり、その施設はアポロ計画スペースシャトルに使われたシステムを生産した。ダウニーで続いた70年間の航空宇宙産業は1999年にロックウェルの工場が閉鎖されたときに終焉を迎えた。ロックウェルの元工場はダウニー・ランディングのショッピング用施設、カイザーパーマネンテの病院、公園、宇宙博物館およびダウニー・スタジオに転換された〔history of the Downey NASA site 〕。
ダウニー市の中心近く、レイクウッド・ブールバード(州道19号線)とファイアストーン・ブールバード(元州道42号線)の交差点はかつて世界でも最大級に繁華な交差点だった。州道19号線はパサデナ市ロングビーチの港を繋ぐ幹線道であり、州道42号線はロサンゼルス市とサンディエゴ市を結ぶ昔のスペイン・トレイル・システムの一部だった。
1960年代、町のダウニー・レコードが「ザ・シャンティズ」のサーフィン曲『パイプライン』を録音したことで小さな悪評を蒙った。町の主要公立高校2校がダウニー知事とアール・ウォーレン知事(その後最高裁長官)に因む校名を採用した。
市内にはロサンゼルス郡でも主要な公立リハビリテーション病院であるランチョ・ロス・アミーゴス・ナショナル・リハビリテーション・センターがある。脊髄損傷ポリオ後症候群の治療に果たした革新的な功績で世界に知られる病院である。
2008年のアクションコメディ映画『スモーキング・ハイ』にはダウニーが登場した。フロレンス・アベニューに沿った建物の多くが映画冒頭のドライビングシーンで写された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダウニー (カリフォルニア州)」の詳細全文を読む




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